Yumiko Tanaka Photography 

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『大切ないつもの暮らし』

 

 2011年3月11日、あの地震は起こりました。私は職場(東京都中野区)のギャラリーの受付に座っていました。窓からは午後の穏やかな日の光が差し込み、数名のお客様が来廊されていて、それまでは平穏な時間が流れていました。午後2時46分、ぐらぐらと地震が起こり、最初は、たまにあるような軽い地震かと思っていましたが、揺れが強くなり、しかも長い時間揺れて、書籍スペースに置かれた本の一部が飛び出して床に散乱し、私は外に逃げるべきかどうか考えながらも、何もできず立ち尽くしている間に、最初の強く長い地震は収まりました。その後も余震が続き、電車は止まり私は帰宅困難となり、翌日やっとの思いで自宅(神奈川県川崎市)に辿り着きました。ニュースで被災地の惨状を知りあまりの酷さに驚愕し、福島第一原子力発電所の事故に言葉を無くしました。スーパーからは食料品や水が無くなり、電力不足による計画停電が始まりました。ついさっきまで平穏に暮らしていたのに、一瞬にして、本当に一瞬にして、多くの人が普通の暮らしを無くしてしまいました。いとも簡単に。被災地の方々の状況は、これとは比べ物にならない、言葉では言い尽くせないほど過酷なものだと思います。この東日本大震災をきっかけに、普通に過ごせることの大切さを一段と強く感じるようになりました。

 そもそも、普通の暮らしを大切に思うようになったのは、夭折した私の親戚達の影響があると思います。私の父方の伯父と母方の伯父は太平洋戦争へ出征し、二人とも生きて戻ってくることはありませんでした。私の伯母と3人の幼いいとこは、昭和32年長崎県諫早市で起こった諫早大水害で、氾濫した河に家ごと流されて亡くなりました。父は運良く外出していて生き残りましたが、家も家族も亡くしてしまいました。母は満州の引き上げで、出征した伯父以外の家族は生きて帰国できましたが全財産を無くしました。やがて父と母は結婚し、兄と私が生まれました。

 災害に見舞われて亡くなったり、家や家族を失ったりする人たちは、自分とは遠い特別不運な誰かではなくて、誰にでも起こりうることなのだと痛感します。そして不幸はある日突然やってくるのだと。災害以外でも、ある人は病気で、ある人は事故で、ある人は家族や友人の死で、ある人は失業で、ある人は人間関係で、ある日突然、平穏な暮らしが無くなってしまうと。だからこそ、普通に過ごせることを大切にしなければいけないと強く感じます。私の伯父、伯母、いとこ達は私の生前に亡くなったので会ったことも無いけれど、いつも私の頭の片隅にそのことがあって、私の生き方に影響を与えていると思います。伯父、伯母等の死が、普通の暮らしの大切さを教えてくれて私にその事を残していってくれたと思っています。

田中由美子